それぞれの暮らし vol 3
暮らしをデザインするということ
帰ってきたくなる家
リノベーションから5年。
その家には、真新しさとは違う、時間の経過が折り重なった美しさがあった。
磨かれたキッチン。
シンプルに整えられたリビング。
窓の外に広がる「借景」のような青葉。
日々朝を迎え、夜を過ごし、子どもたちが成長し、誰かが帰ってくる。
そうした時間の積み重ねが、少しずつ住まいの表情を変えていく。
この家には、夫婦とふたりの子どもが暮らしている。
4人で過ごしていた家族の時間はいつしか形を変えていき、今は妻がこの家で最も長い時間を過ごすようになった。
夫は仕事のある街で過ごし、週末になるとこの家へ帰ってくる。
以前、遠方で単身赴任をしていた頃は、月に一度ほどしか帰れない時期もあったという。
それでも今は、毎週のように帰ってくる。
「帰ってきたくなるから、毎週帰ってきてるよね」
その一言に、この家の「すべて」が込められているのかもしれない。
この住まいとの出会いは、今から数年ほど前。
夫婦ともに生まれ育った福岡で、家族で暮らす場所をあらためて探すことになった。
真新しいマンションも数件見たものの、なかなか心が動く住まいには出会えなかったという。
街中のマンションなら、どこでもいいわけではない。
自分たちにとって、「本当に価値がある」と思える場所を、妥協せず選びたかった。
そんな時、ふと記憶に残る場所があった。
ある日、車で市内を走っていた時のこと、あるマンションが目に飛び込んできたのだ。
「こんなところに住めたらいいね」
そう、外観を眺めながら夫婦で話した記憶をもとに調べてみると、唯一売りに出ていたのが、この住まいだった。
すぐに問い合わせ、大雨の日にもかかわらず見に行った。
外は暗く、周りの景色はよく見えない。
それでも、想像の中ではすでに、この場所で過ごす家族の様子が浮かんでいた。
「此処がいい」
直感的に、そう感じた。
そしてこの場所には、もうひとつの記憶も重なっていた。
かつて、夫が亡き母と近くを車で通ったときにも、「こんなところに住めたらいいね」と話していた想い出の場所だったという。
一度通り過ぎた景色が、時間を経て、家族と暮らす場所になった。
偶然というには少し不思議で、けれど大切な選択には、時々そういうことが起こる。
まるで、場所に選ばれたように。
記憶に、導かれるように。
この家との出会いは、ずっと前から静かに始まっていたのかもしれない。
この場所に惹かれたものの、築18年の住まいを、そのままの形で暮らすことは考えられなかった。
この場所に住むのなら、自分たちらしい空間にしたい。
その想いから、リノベーションを選んだ。
そんなとき、出会ったのがスペースオーケストラの野見山だった。
まだ、実績も人柄もわからないなかで、飛び込んだのはなぜだったのだろう。
限られた施工事例の中にあったニッチの作り込み、扉の収まり、天井に照明を埋め込むといった細部へのこだわり。
それらを見て、「この人なら」と感じた。
リノベーションまでの日々では、何度もやり取りを重ね、時には夜中まで話すこともあったという。
「人生観みたいなものは、彼と近いところがあるのだと思う」
そう振り返る。
海が好きで、年齢も近い。
そして、やりたいことをやる。
やりたくないことは、やらない。
その感覚が、どこかで響き合っていた。
住まいづくりは、どんなものを美しいと感じるのか。
何を許せて、何を譲れないのか。
その人の判断基準が、少しずつ形になっていく時間でもある。
夫は、物事にあまり「迷わない」という。
好きなものに囲まれていたい。
好きだと思ったものは好き。
欲しいと思ったものは欲しい。
その感覚は、とてもまっすぐだ。
一方で、妻は慎重派だった。
けれど、そのまっすぐさを信頼しているからこそ、譲れるところは譲れるのだという。
「やりたいことは、やらないと!」
そう話す言葉には、夫への信頼と想いが滲んでいる。
家づくりは、夫婦の価値観が表れやすい。
どちらか一方の理想だけではなく、互いの感覚を知り、信じ、時には譲りながら形にしていく作業だ。
この家の空気が穏やかなのは、そうした関係性が背景にあるからかもしれない。
リノベーションで外せない条件の一つが、家族が自然と集まりやすい場」をつくることだった。
リビングとキッチンが「R壁」でリンクする広々としたLDKには、そんな夫婦の想いが反映されている。
「ここは、公共のスペースっていうイメージです」
子どもたちは、いずれ自分の部屋で過ごす時間が増えていく。
大人もまた、趣味に没頭すれば、部屋にこもることがある。
だからこそ、できるだけ家族が「いつでも戻ってこられる場所」をつくっておきたい。
そんな想いが、家づくりの原点だ。
それぞれの場所はありながら、すべての部屋を回遊できるため空間が閉じすぎていない。
家族の気配は、いつもシームレスにつながっている。
この家は、そんな「ちょうどいい」家族の距離感をもたらしているのかもしれない。
オリジナルキッチンは、家づくりのなかでも、特にこだわりを詰め込んだ。
大切にしたのは、美しさと使いやすさ。
シンクは、なるべく「角」のあるシャープなデザインに。
シンクとコンロを分けた二列型は、家族も自然とキッチンに行き来しやすい広さと使いやすさを備えている。
妻は、シンクとダイニングテーブルが一続きになった「角」をやさしく撫でながら、こう話した。
「癒される、見てて綺麗だから」
美しい造形は、時に見る人の心を癒すこともある。
造作されたダイニングテーブルの縁に、さりげなく「溝」がデザインされているのも、この家ならではの美しさだ。
「ホコリは溜まりますし、黒くなる。だけど、このデザインって私たちの家だけなんです」
スペースオーケストラとともに創り上げた、わが家だけのデザイン。
そんなこだわりが宿るキッチンは、家族が穏やかな時間を過ごす場所になっている。
この家の各所にある木目や曲線のデザインも、そんな暮らしにそっと寄り添う。
空間を飾るためだけではなく、スタイリッシュな空間に、やわらかさや穏やかさを添えるディテールとして。
家族4人の暮らしは、いつも完璧に整っているわけではない。
子どもたちの気配が、部屋のあちこちに残る日もある。
それでも、少し整えればまた心地よさが戻る状態にしておくことを大切にしている。
金曜日になると、家を整える。
週末、この家に帰ってくる夫を迎えるための支度だ。
整えられた家に帰る心地よさは、ちゃんと届いている。
「いい家だなー!」
毎週のように、夫はそう言葉にしているという。
妻の一人時間のお気に入りは、片付けや暮らしにまつわる動画を観る時間だ。
平日、子どもたちが学校へ行っている束の間、ソファに身を預け、「これからの暮らし」に想いをめぐらす時間に癒される。
空間を整えることは、ただ見た目を美しくするためだけではない。
その背景には、 家族が自然に集まれる場所にしたい、 帰ってきたくなる場所にしたいという想いがある。
この家の心地よさは、そんな小さな積み重ねでできているのかもしれない。
この家のベランダには、たくさんの金魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。
毎年、家族で訪れる夏祭りで、1匹、また1匹とすくい、この家で暮らす仲間になった。
水槽は少しずつ時間の経過を感じさせるけれど、
水の中を元気に泳ぐ姿は、子どもたちがこの家で大きくなってきた時間とも重なる。
夏祭りへ出かけること。
金魚を連れて帰ること。
ベランダでその命を見守ること。
年を重ねるうちに、そんな時間が想い出に変わっていく。
これから先、子どもたちはさらに成長し、 家で過ごす時間も、家族の距離も少しずつ変わっていくのかもしれない。
「多分、子どもたちがうちに居る間は、こんな感じでずっと日々が続いていくと思います」
その言葉には、変わっていく時間を受け止めながら、大切にしたいという想いが滲んでいた。
子どもたちがいつかそれぞれの場所へ向かう日が来ても、この家で過ごした時間は、きっと家族の中に残っていく。
夏祭りの記憶。
ベランダの金魚。
週末に戻る足音。
整えられた、気持ちのいいリビング
窓から見える、季節ごとに姿を変えてゆく木々。
変わらないように見える日々の中で、家族の時間は少しずつ移ろっている。
リノベーションで生まれた空間に、5年の暮らしが重ねられてきた。
この家は、これから先も家族の変化を受け止めながら、静かに「帰る場所」であり続ける。
取材/文 伊野奈緒美