それぞれの暮らし vol 1
暮らしをデザインするということ
朝になると、ふたりはその日の献立を話す。
ごく自然に、冷蔵庫の食材を思い浮かべながら
「今日は何にしようか」と言葉を交わす。
スペースオーケストラが手がけたリノベーション住宅に暮らすふたりの物語。「単なる素敵なリノベーション」ではなく、「暮らしのデザイン」——その言葉の意味が、この家には静かに息づいている。
01 —— 日常の情景
役割分担は、ない。
けれど、暮らしのリズムの中で自然に決まっていく。
「決めているわけじゃないんです。どっちが作る、というのも特に決めていなくて。その日の流れで、自然とキッチンに立っている感じですね。」
キッチンは、この家のためにオリジナルでデザインされたもの。直線を基調とした輪郭に、木の質感が静かに寄り添う。調理の時間と、食事の時間が途切れることなく流れ、一続きの平面の上で、暮らしが自然に重なっていく。
外食は以前より減り、家で食事をする時間が増えた。夜、窓の外に広がる景色を眺めながら、ゆっくり食卓を囲む。そんな日々の営みが、穏やかに「幸せ」を運んでくる。
ふたりだけの心地よさが、そこに在るのだ。



02 —— 日常と非日常の境目
旅行は好きだが、観光地を巡るより、その土地の暮らしが感じられる場所を歩く。とりわけ、マーケットに足を運ぶのが好きだという。
「観光地よりも、現地の人が何を買っているのかを見る方が楽しいんです。どんなものが並んでいるかとか、どういうものを日常的に使っているのかとか…」
その土地で暮らす人たちが何を選び、どんな時間を過ごしているのか。そうした風景のなかに、自然と足が向く。
旅の記憶
台湾で口にした杏仁も、そんな旅の途中で出会ったものだった。旅先での体験が、日々の料理や食の感覚に静かに宿り、現地の食材で作る時間も愛おしい。
「再現しようとは思わないけれど、ああいう味があったな、とか、あの感じがよかったな、という記憶は残っていて…」
味だけではない、あのときの空気感、街の雰囲気が記憶に残っている。旅で受け取った感性は、特別な思い出として切り離されることなく、日々の暮らしに自然と息づいている。
この家は、人生の「港」のような場所なのかもしれない。「旅」へと向かうための出発点であり、その時間を抱えて戻る終着点でもある。行き交う時間を受け止めながら、この家を起点に、また次の場所へと向かっていく。


03 —— 光と時間
都心の街並みが美しい光に包まれる、その時間。温かみのある柔らかな光は、照明づかいにも反映されている。明るさを優先するのではなく、落ち着くことを大切に。白すぎる光は避け、夜の時間が心地よくなるamberな光を選んだ。
「明るければいい、という感じではなかったですね。心地よい時間を過ごしたかったので。」
照度ではなく、光の質に重きを置く。家の中で過ごす時間が増えるにつれ、気づけばこれまで使い続けてきた「モノ」の見え方も変わっていた。
ルイス・ポールセン ボンバードマン
15年ほど愛用しているルイス・ポールセンのボンバードマン。お気に入りの照明だったが、リノベーション前はなぜか目に留まりづらかった。
間取りが見直され、空間に「抜け」が生まれると暮らしの風景も大きく変わる。視線が先まで届くようになり、その存在が身近に感じられるようになった。
「前の家でも使っていましたし、ずっと一緒に居た照明なんです。でも、この家になってから改めていいなと思うようになって」
読書をしたり、何も考えずにぼんやりと過ごしたり。そんな穏やかな時間にふと視線を上げると、その姿が目に入る。消灯していても際立つオブジェのような佇まいに、改めて「素敵だな」と感じることがあるという。
新しく迎えたものではなくても、暮らしの「背景」が変わることで、長く一緒に居たモノの価値がもう一度立ち上がってくる。共に時間を重ねてきたモノが、違う表情を見せるようになる。
それもまた、この家で起きている「小さな変化」のひとつなのだろう。
04 —— しっくりくる、という感覚
北欧、モダン、そうした分かりやすい言葉では言い表せない、何か。ただ、指標となるのは「好きなモノに囲まれて暮らしたい」という想いだけ。
判断のよりどころは、いつも自分たちの感覚だった。サンプルや写真を見ながら、完成形の細部まで思い描いていたわけではない。ただ、この空間で過ごす日々が自然に想像できるか、「好き」と思えるかどうか。その感覚を頼りに、ひとつずつ丁寧に選んでいった。
「無理に決めなくてよかったんです。『分からない』という状態をそのままにしてもらえたのが大きかったですね。選ばされている感じがなかった。完成したものを選ぶ、というより、一緒に創っていく感覚でした。」
設計者とのやりとりの中で、共創し、家づくりのプロセスそのものを愉しむ。無理に型にはめたり、決めつけたりしない。時間をかけて、一つひとつ丁寧に選択を積み重ねた先に、まだ見たことのない「理想の暮らしの風景」が広がる。


05 —— 遠回りも「家づくり」
中途半端なモノは、あまり買わない。気に入ったものを、長く使う。
「これでいい、というより、これがいい、と思えるモノを使いたいですね。簡単には手放さないです。」
捨てるよりも、使い続けることを選ぶ。分別やリサイクルにも、自然と気を配る。落ちたクリップひとつ、こまめに拾って整頓を心がける。
「片付いていると、動きやすいんです。すぐに出かけられるし、人も呼びやすい。」
だが、整っている状態を目指すのは、完成形を求めているからではない。次に動くための、準備ができた状態を保つため。旅も、暮らしも、家づくりも、考え方は同じなのかもしれない。
予定を決めすぎない。失敗や遠回りも含めて、その過程を愉しむ。
リノベーションで、理想の家を手に入れた。けれど、それはゴールではない。
06 —— 「未完成である」ということ
「そうですね、まだ未完成です。でも、それでいいと思っています。未完成だから愉しいんです。」
旅で持ち帰ったお気に入りたちが、まだ沢山ある。一つひとつどこに並べようか、飾ろうかと考える時間も暮らしの潤いだ。造作されたリビングの飾り棚を眺めながら、ふと思う。
「ここも、たぶん変わると思います。住みながら、少しずつですね。全部決めきらなくていい、と思えるようになりました。」
不確実であるから、面白い。「家づくり」という冒険は、まだ始まったばかりなのだから。
07 —— 帰る場所、始まりの場所
家の顔とも言える玄関は、大切な場所。滞在時間は短いが、心に与える影響は少なくない。
「玄関って、こんなに大事なんだなと思いました。入った瞬間に、好きだなって思える。外で『どんな1日』を過ごしてきても、玄関をくぐると、気持ちが切り替わる。ここに入ると、ちゃんと家に帰ってきた、という感じがします。外で何があっても、1回リセットされるというか…」
ここは帰る場所であり、同時に次へ向かうための始まりの場所でもある。安心感に包まれる「居場所」なのだ。
この家は、これからの暮らしを受け止め続ける器として育っていく。未完成であることを、前向きに受け入れながら。
帰る場所として、そしてまた始まりの場所として。
取材/文 伊野奈緒美